教員になる前に よく考えて。現場から
成果がほぼないまま、また文科省大臣が変わった。
新大臣は、「学校現場が大変だという先入観を持たれてしまっている一面がある。」
先入観ではなく、事実だ。大変ではないという先入観を持っているんだろうか?
福井の友生先生が過労自殺に追い込まれ、家族が5年間の裁判で町や県から謝罪を受けて6500万円の賠償金が決まっても、文科省大臣からは一言もコメント無し。失望した。
今の日本は、莫大な借金を抱えている。借金を返そうと財政再建に取り組もうとしているけれど、景気が上向かず、またもや借金。
教員や教育に回す金は無い、と思っているだろう。目の前の景気に直結しないものは政治家の選挙の得票にもならない。教員の待遇改善や働き方を劇的に変えていくつもりはないだろう。教育に十分な予算を配当しなくても、現実的にほぼ残業手当無しの状態になっている給特法により教員を必要なだけ働かせることができる。せいぜい1、2年の任期中にこんな魔法のようなシステムを変えるはずがない。
日本の将来を考えた政治家達が優秀な教員を学校に集めるために様々な仕組みを作り、京都大学、早稲田、慶応、同志社、難関国立大学などの優秀な学生が教員になった。その仕組みは次々と廃止されいった。残ったのは、4%の調整手当でいくらでも働かせる状態になっている恐ろしいブラックシステム。上記の大学の卒業生を見なくなった。代わって学生集めに困っている地元の私立大学が教育学部を作り多くの学生を送り込んでいる。教員になる学生の層が変わったように感じる。これらの学生は教員の何が魅力で何が恐ろしいか分かって教員になっているんだろうか?それとも倍率が大きく下がって受かるようになったからチャンスと見た大学に受けさせられているんだろうか?教員の志望者層の変化が全国的なものなら国の未来に大きな影を落とす。でも多くの国民は気づかない。少なくとも今の政治家に痛手にはならない。国民が気付いた時には彼らは引退している。
教員志望の学生は、教員の働き方が問題として取り上げられているので、きっと国が改善に動くと思ったら大間違い。
国の教育方針を左右する中央教育審議会が今年度の1月25日に文科省に出した教員の働き方改革に関する答申は、解決策である給特法の廃止や改善、業務量に全く合っていない教員の定数にほとんど触れていない。どうせ国はこれらにお金を出す気がないだろうからと諦めたんだろう。
この答申に基づき、文科省は教員の多くが過労死ライン80時間を超える状態から45時間に減らすことを目標にしている。この45時間に残業手当は出ない。これを超えても、教員と医師以外に適応される、罰金刑や懲役刑は無い。半年たった今、残業時間はほぼ横ばい、現場はブラックのままだ。この答申が今後永らく生きるだろう。つまり現状維持の恐れが強い。
さらに1日の労働時間を正式に伸ばして働かせる変形労働時間制を導入しようとしている。午後5時に帰れず7時などが正規の業務終わりになるだろう。でも結局8時9時まで学校で働くことは変わらない。ほぼ無賃で。
伸びた勤務時間の代休は、長期休暇中に取れ。有給休暇20日や夏季休暇6日に加えて代休を取ることは無理だろう。結局使わずに消えるだろう。午後5時に帰ることはできなくなり、教員の子育てや介護は過酷な今よりも酷いものになる。あるいは不可能になるかもしれない。
つまり現状よりも悪くなる。
給与は下げられ続けて退職金も下がり、給与の査定制度を導入するために、また全教員の給料が下げられて、立派な先生の給料のアップに当てられている。残業を厭わず、家庭を顧みず、できることはなんでもする先生の給料が上がるんだろうか?さらに、教師の日、に表彰するのか?
評価の低い先生は少しも昇給しないことがあると説明があった。給特法によるほぼ無賃残業の文句を言っていたら初任給のままなのか?
結論
働き方に心配があれば
教員になるな
普通の労働環境の仕事に就け
なるなら、学校がホワイト化してなれ
10年から20年したら変わるかも
一旦 学校の問題が噴き出した後で政治問題となり、ようやく改善に向かうだろう。
でも、その際に語られるであろう 多くの悲劇の過労死メンバー になってはいけない。