#先生死ぬかも

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教育学者と学生 学校改善に立ち上がった!

内田良先生が教育学者のこれまでの、そしてこれからの果たすべき役割についてズバリ書いている。

私が思っていたことに近い。

教育は、「人が幸せに生きる力」を育てる。

教員はその手助けをする。

教員が、幸せに生きるお手本でいたい。

意欲、能力ある教員が潰れる今の学校では、子供は不幸です。

教育学者に期待すること

「素晴らしい実践攻撃」ではなく

「子供も先生も幸せになるための、学校の問題解決  研究と実践」

 

以下 内田良先生 教育新聞 引用

学校の働き方を考える教育学者の会

2018年末、私は教員養成系大学に籍を置く5人の現役学生たちと意見交換する機会に恵まれた。

彼らとの対話を通じて、いろいろと驚かされることがあった。中でも教育学を専門にする大学教員としてとても衝撃を受けたのは、教員養成系大学だからといって、教員の働き方改革を必ずしも積極的に議論しているわけではないことだ。それどころか、ほとんど議論されていないといった方が、学生の思いをより的確に表現しているかもしれない。

「大学の中にいては教員の労働の問題点が見えてこない」

そう考えた学生たちは、給特法をはじめとする法制度、国や自治体の改革の動向などの情報を学内の講義や仲間との会話からではなく、インターネットや書籍から得ているという。

言うまでもなく大学は最高学府である。最先端の議論を創出し主導する立場にある。ましてや教員養成系ならば、教員の長時間労働の実態やその背景を率先して可視化しているはずだと私は信じていた。だが実際のところ、大学は学生の関心に応える場になっていない。

私自身も、長らく教育学に携わる中で、教員の過重負担や背後にある法制度についてはほぼ無関心だった。いじめや不登校、スポーツ活動中の負傷事故など、広く教育問題・教育課題と呼ばれるものについて、ただひたすら「先生方はまず研修で勉強してください。子供のために頑張ってください」と言い続けてきた。

「子供のため」という美辞麗句を用いて、学校現場に業務を次々と押し付けたのは、私だけではないはずだ。「学校の働き方を考える教育学者の会」の呼び掛け人である日本大学広田照幸教授は「教育学者が教員に対し『こんなに教育は素晴らしいから頑張れ』と追い詰めた部分があることには、個人的には責任を感じる」と述べている(『教育新聞』電子版、18年12月4日付)。教育学者はこれまでの罪を償うべく、教員の働き方改革を主導することが求められている。

実は今、全国各地の教員養成系大学の学生が、各大学で教員の働き方を考えるイベントを立ち上げている。そのいくつかは「学校の働き方を考える教育学者の会」が「後援」している。教育に携わる学生と学者とのコラボレーションだ。

遅まきながら、アカデミズムからも教員の働き方改革が始まろうとしている。

(内田良)